消えもの
きえもの
消えものとは
消えもの(きえもの)は、映像制作の現場で使われる日本独自の業界用語で、撮影中に消費・消耗されてなくなる小道具を指す。代表的なものは食べ物、飲み物、タバコ、ろうそく、手紙を破くシーンの紙、花火など、テイクを重ねるたびに新たに用意し直す必要があるアイテムである。
英語では「consumable props」や「expendable props」と呼ばれるが、日本語の「消えもの」ほど定着した一語の業界用語は英語圏には存在しない。ハリウッドではプロップマスター(小道具責任者)が管理するアイテムの一カテゴリとして扱われるが、日本の現場では「消えもの」という言葉が独立した概念として定着しており、美術部や制作部の予算項目としても使われる。
消えものの種類と管理
消えものは大きく以下のカテゴリに分類される。
飲食物: 最も多い消えもの。食事シーン、飲酒シーン、料理シーンなどで使用される。テイクごとに同じ量・同じ見た目で再現する必要があるため、美術スタッフは複数セットを事前に用意する。温かい料理は湯気が出る状態を維持しなければならず、冷めた料理を温め直す手間も発生する。
タバコ・ろうそくなど燃焼物: 喫煙シーンではテイクごとにタバコを交換する。ろうそくの長さが変わるとシーンの連続性が崩れるため、同じ長さのろうそくを大量に用意する。
破損物: 手紙を破る、ガラスを割る、花瓶を投げるなどのシーンで使用される小道具。シュガーグラス(砂糖製の割れるガラス)のように、安全性を考慮した特殊な消えものもある。
化粧品・特殊メイク素材: 血糊、汗を表現するグリセリン、涙の演出に使うメンソールなども広義の消えものに含まれる。
具体的な作品での使われ方
伊丹十三『タンポポ』の食事シーン
伊丹十三監督の『タンポポ』(1985年)は、ラーメンを中心とした「食」をテーマにした映画であり、消えものの管理が極めて重要な作品だった。主人公がラーメンの味を追求するシーンでは、テイクごとに新しいラーメンを作り直す必要があり、美術部と調理スタッフが撮影の合間に麺を茹で、スープを温め、具材を盛り付ける作業を繰り返した。麺は時間が経つと伸びて見た目が変わるため、カットがかかるたびに新しい丼が用意された。
是枝裕和『万引き家族』の食卓シーン
是枝裕和監督は自然な演技を引き出すために長回しとリハーサルの少ない撮影を好むが、食事シーンでは消えものの管理が課題となる。『万引き家族』(2018年)の家族がコロッケやそうめんを食べるシーンは、生活感のあるリアルな食卓を再現するために、テイクごとに料理を作り直し、食べかけの状態も忠実に再現する美術部の職人技が求められた。
ハリウッド作品 —『ジュリー&ジュリア』
メリル・ストリープ主演の『ジュリー&ジュリア』(2009年)は、料理研究家ジュリア・チャイルドの伝記映画であり、大量の消えものが使用された。撮影では本物のフランス料理を何十皿も用意し、ストリープが実際に調理・試食するシーンが繰り返し撮影された。プロの料理人がスタンバイし、テイクごとに食材を補充する体制が組まれた。
消えものにまつわる現場のエピソード
食事シーンの撮影は俳優にとって過酷な経験になることがある。テイクを重ねるたびに食べ続けなければならず、10テイク以上になると俳優が満腹で演技に支障をきたすこともある。このため、経験豊富な俳優は「食べるふりをして実際にはほとんど口に入れない」テクニックを身につけている。逆に、メソッド演技で知られる俳優は本当に食べ続けることを選ぶこともある。
また、消えものの予算は作品の規模やジャンルによって大きく異なる。低予算映画では食事シーンを減らすか、食べ物が映らないアングルで撮影することで消えものの費用を抑える工夫がされる。一方、グルメをテーマにした作品では消えものの予算が美術費全体の大きな割合を占めることもある。
類似用語との違い・使い分け
消えものと小道具(プロップ)の違い
小道具(プロップ)は、俳優が手に持ったり操作したりするアイテム全般を指す広い概念である。銃、バッグ、携帯電話などは繰り返し使えるため消えものには該当しない。消えものは小道具の中でも「テイクごとに消費され、再度用意が必要なもの」に限定される。
消えものと美術セットの違い
美術セットは撮影の背景として設営される大道具や装飾全般を指す。テーブルの上に置かれたフルーツの盛り合わせが「飾り」として映るだけなら美術セットの一部だが、俳優がそれを食べるシーンがあれば消えものとなる。同じアイテムでも、シーンの中での使われ方によって分類が変わる点が特徴的である。
現場での使われ方・ニュアンス
日本の撮影現場では、「消えもの、あと何セットありますか?」「消えもの補充お願いします」といった形で日常的に使われる。制作部が消えものの調達を担当し、美術部がセッティングを行うのが一般的な分業体制である。
予算管理の観点では、消えものは「消耗品費」として計上されることが多い。テレビドラマの場合、1クール(約10話)分の消えもの予算をあらかじめ確保しておくのが通例である。撮影スケジュールの変更やテイク数の増加によって消えものの消費量が予定を超えることもあり、制作部のコスト管理能力が試される場面でもある。