インティマシーコーディネーター
いんてぃましーこーでぃねーたー
インティマシーコーディネーターとは
インティマシーコーディネーター(Intimacy Coordinator)は、映画・テレビドラマの制作現場において、キスシーン、ベッドシーン、ヌード、暴力的な身体接触など、俳優の身体的・心理的な境界に関わるシーンの撮影を安全に進行させるための専門職である。
俳優の同意と快適さを確保しつつ、監督の演出意図を実現するための橋渡し役として機能する。スタントコーディネーターが「アクションの安全」を担うように、インティマシーコーディネーターは「親密なシーンの安全」を担う。
なぜこの役職が生まれたのか
#MeToo以前の現場
2017年の#MeToo運動以前、映画やドラマの性的なシーンの撮影は、監督の裁量と俳優個人の判断に大きく委ねられていた。俳優がどこまで肌を見せるか、どのような接触が行われるかは、事前に明確な取り決めがないまま撮影当日に決まることも多かった。
権力関係の非対称性により、俳優(特にキャリアの浅い俳優)が不快なシーンを断りにくい状況が構造的に存在していた。
専門職としての確立
2018年にHBOが制作するすべての作品にインティマシーコーディネーターを配置することを義務化し、これが業界全体に広がるきっかけとなった。SAG-AFTRA(全米映画俳優組合)も2020年にインティマシーコーディネーターの活用を推奨するガイドラインを策定した。
具体的な業務内容
プリプロダクション
- 脚本の分析: 親密なシーンを含むすべての場面を特定し、その演出上の目的を監督と確認する
- 俳優との事前協議: 各俳優の身体的・心理的な境界を個別にヒアリングし、「ここまではOK」「これはNG」というラインを明確にする
- 振付の作成: 親密なシーンの動きを、ダンスの振付のように事前に設計する。即興に任せるのではなく、合意された動きを決めておく
撮影現場
- クローズドセットの管理: 親密なシーンの撮影時に、不必要なスタッフを退場させ、最小限のクルーで撮影する「クローズドセット」を運営する
- モデスティガーメントの用意: 撮影の合間に俳優が身につけるローブや、カメラに映らない部分を覆う肌色のパッチなどを準備する
- リアルタイムの調整: 撮影中に俳優が不快を感じた場合、即座に撮影を中断し、調整を行う権限を持つ
ポストプロダクション
編集段階で、俳優が同意していない映像(合意された範囲を超えたアングルや露出)が使用されていないかを確認する場合もある。
具体的な作品での事例
『ユーフォリア』(HBO、2019年〜)
ティーンエイジャーの生々しい日常を描くこの作品は、性的なシーンが多く含まれる。インティマシーコーディネーターのアマンダ・ブルジェルが全エピソードに参加し、若い俳優たちの安全を確保しながら、リアリティのある演出を実現した。出演者のシドニー・スウィーニーは、インティマシーコーディネーターの存在が「安心して演技に集中できる環境を作ってくれた」と公言している。
『ブリジャートン』(Netflix、2020年〜)
リージェンシー時代のロマンスを描くこの作品には多くの親密なシーンがある。インティマシーコーディネーターのリジー・タルバットは、各シーンの振付を事前に設計し、俳優たちがリハーサルを重ねてから本番に臨む体制を構築した。
日本での事例
日本では2020年代に入り、インティマシーコーディネーターの認知が徐々に広がっている。NHKの連続テレビ小説やNetflix制作の日本作品などで起用されるケースが出始めているが、まだ専門家の数が少なく、業界全体への浸透はこれからの段階にある。
スタントコーディネーターとの比較
インティマシーコーディネーターの役割は、スタントコーディネーターとの類似性で説明されることが多い。
- スタントコーディネーター: アクションシーンの安全を管理。格闘・カーチェイス・爆発などの物理的リスクから俳優を守る
- インティマシーコーディネーター: 親密なシーンの安全を管理。身体的・心理的な境界を守りつつ、演出上のリアリティを確保する
どちらも「俳優の安全を守りながら、画面上ではリアルに見せる」という共通の目標を持っている。アクションシーンで「実際には殴っていないのに殴って見える」ように撮るのと同様に、親密なシーンでも「実際には安全な距離があるのに親密に見える」技術が使われる。
業界における現在の位置づけ
インティマシーコーディネーターは、ハリウッドでは急速に「当たり前の存在」になりつつある。大手スタジオや配信プラットフォームの多くが起用を標準化しており、HBO、Netflix、Amazon Studios、Disneyなどは制作ガイドラインにインティマシーコーディネーターの配置を組み込んでいる。
一方で、インディペンデント映画や予算の限られた制作では、コスト面から起用が見送られるケースもまだ存在する。業界団体は資格認定プログラムの整備を進めており、専門職としての標準化が進行中である。